大正製薬会長上原明様 インタビュー

大正製薬会長上原明様 インタビュー

本記事は、ラグビー日本代表スポンサーである大正製薬株式会社の取締役会長 上原明様のインタビュー記事となっております。上原様は学生時代にBYBに所属し活動されたOBプレーヤーであり、現在はOB会の名誉会長を務めていただいております。当時のエピソードや新入生の皆様へのコメントも頂いておりますので是非最後までお読みください。

(OB会名誉会長 上原明様 / 第91代主将稲垣堅斗)

《上原明様 略歴》参照

昭和35年 慶應義塾大学経済学部入学 BYB入部
昭和41年 2年の留学を経て慶應義塾大学経済学部卒業

昭和52年 大正製薬株式会社 入社
昭和57年 代表取締役社長 就任
平成24年 代表取締役会長 就任
平成25年 大正製薬ホールディングス株式会社代表取締役社長 就任
平成27年 大正製薬株式会社取締役会長 就任

B.Y.B. Rugby Football Club は今年で、1933年の創部から91年目を迎えました。長い歴史を持つBYBの現役チームの活動はOB会に支えられています。BYBでは基本的に、OB会より選出されたOBプレーヤーに監督を務めていただいています。練習の面でも、OBプレーヤーが多数所属する日本製鉄ラグビー部との練習試合を不定期で組ませていただいています。また、OB会の皆様より新歓費用を始めとする活動費を補助していただいております。例年、格別のご支援を頂いております御礼のご挨拶にあたり、現役チームの幹部が大正製薬に伺い、上原様に通年の活動計画・新歓の計画をプレゼンテーションしました。

(手前左から、戦術リーダー長岡、上原様、主将稲垣、副将斎藤)(奥左から、新歓主任土岡、広報正木)

今回大正製薬へお伺いするにあたり、上原様にインタビュー掲載をお願いさせていただいたところ快く引き受けてくださいました。

以下本年度の新歓主任を務める土岡によるインタビューになります。


土岡 よろしくお願いします。まず、上原さんが考える、ラグビーの良さをお伺いさせてください。

上原様(以下敬称略):まずラグビーの良さっていうのは、一体感というか、全員が同じことを目標に努力している、one for all, all for oneだね。やっぱりそういうところが本当に素晴らしい。あとは、自分のポジションを責任を持ってやるということの大事さを身をもって体験できるスポーツだね。僕らの時は、トライした選手もパフォーマンスみたいなことは全然しなかったんだよ。その前のプレーでいいタックルをして、それがチャンスになったり。そこのところで皆「お前いいタックルだったな!」なんて言って。だから「みんなが見てくれている」ということだったり、トライした人だけじゃなくて全員が活躍して一つのトライを奪う。でもそれと同時に一人一人のミスが失点に直結してしまうこともあるね。それこそone for all, all for oneで、やっぱり一体感がすごくあるよね。みんなで同じ責任をシェアしてる、これは貴重なことだと思うよ。

土岡:トライ以外のプレーでもすごく盛り上がれるというのはいいですよね。


土岡:次に、「ラグビーをしていて良かった」ということはありますか?

上原:社会に出てからも、ラグビーをやっていたってことだけで相手との距離が縮まることもあったね。大正製薬に入った時、イギリスから医薬品を導入しようとした時に、交渉相手の一人に、「すごく体が大きいね、何やってたの?」と聞いたら、「ラグビーをやってたったんだ」、「僕もプロップやってたんだよ」ってたちまち仲良くなって。

土岡特にコンタクトスポーツで激しい競技だからこその絆だったり、繋がりだったりはありますよね。

上原:ラグビーやってるとやっぱり、社会に出てからはどこのチームとかっていうのは関係なくて、お互い信用できるよね。「おおアンタもラグビーやってたのか!」って。

宿沢広朗さん(早大ラグビー蹴球部OB、元日本代表、元日本代表監督)の時もそうだった。2000年に、日本ラグビー協会の代表の強化委員長に就任した宿沢さんがうちの会社に来て「ラグビー日本代表のスポンサーになってくれ。ラグビーに理解があって、かつ同年に立ち上がったトップリーグのどのチームのスポンサーもしていない大正製薬にぜひ」というお願いがあって。ちょうどリポビタンDの「ファイト!一発!」のイメージにも合うし「じゃあやりましょう」ってなったんだよね。同じ競技をやっていたからこそ、同じような練習をして、同じような辛さを乗り越えて、同じような喜びを味わったという共通感があると、それだけで信頼できると感じるよね。


土岡:ありがとうございます。次に、ご自身が現役でプレーされていた当時のBYBでの一番の思い出をお伺いさせてください。

上原:僕はプロップの1番だったんだけど、一年目なんてボールなんてほとんど触れなかった。一番初めにゲーム中にボール触ったのは、2年目の體育會(蹴球部)との試合でね、ボールがパスされてきて慌てちゃってね、もうどうしたらいいかわからなくなっちゃって。それから練習もすごく頑張って翌年の體育會と試合した時にトライしたのが嬉しかったのを覚えてるね。

土岡:リベンジを果たしたわけですね。BYBに入部して良かったことはありますか?

(練習風景 右から二人目)

 

(練習風景 写真中央右)

 

上原:グラウンドの内でも外でもずっとおんなじ仲間と仲良く過ごせたことかな。夏に葉山で海の家を借りて一緒に寝たり、伊豆の下田で春合宿したり、それから白樺湖でも合宿したり。要するに、そういう苦しい逃げ場のない合宿を一緒に過ごして、同じ努力をして同じ辛さと喜びを味わい、同じ釜の飯を食った仲間っていうは何ものにも代え難いよね。そういう意味で、受験でなまった体からスタートして、大学で仲間と一緒に運動しながら苦しいことを一緒にしたってことはかけがえのない経験だったね。そういった経験を積んだということは、社会に出てからも「自分はそれを乗り越えた」って自信にもなったね。だからやっぱり一人でも多くの学生諸君に、仲間と困難を乗り越える楽しみを感じて欲しい。BYBはそういった素晴らしい文化・伝統を継いでいることは間違いないから、是非こういった貴重な経験を、社会に出る前に味わって欲しいね。

(白樺湖合宿の様子)

土岡:ありがとうございます。確かに今のBYBも学年関係なく部員同士仲が良くて良い雰囲気で練習ができています。


土岡上原さん自身はどういった学生生活を過ごされましたか?

上原:僕は大学3年を終えてから休部してね、アメリカ留学したんだよね。一年間で帰るつもりだったんだけど、あまりにも英語が上手くならなかったものでもう一年留学を続けたね。二年間の間で、僕は、アメリカのど真ん中のミズリー州でMissouri Valley Collegeという大学に4年生として中途入学して翌年卒業、二年目にはダートマス大学っていうボストンよりも北のニューハンプシャー州にある大学のビジネススクールに通いました。勉学以外だと「留学中に50州全部回ろう」って思って、それでそのうちの47州は全部自分の車で、ハンドル握って実際にそれを達成したのがいまだに自慢だし一番大学時代の思い出だね。衝撃的だったのがアメリカのど真ん中のネブラスカ州の州道を一日中走った時のことだね。朝九時から夕方六時まで、800km、だいたい東京から広島くらいまでの距離を走ったんだけど、道路の両側が放牧地帯だからか道沿いがずっと鉄条網に囲われてて。同じ方向に走る車は1台もなく、しかも対向車は1日にたった2台しか来なかった。これは「すごく広大な土地を持つ国と戦争しちゃったな」なんて思って。あとは、留学中にジョン・F・ケネディが暗殺されたんだよね。その時は寮の部屋にいたんだけど、聞いてたラジオが急に止まって。僕は留学して半年くらいだったから未だ英語はよく判らず単語だけしか聞き取れなかったんだけど、一緒に部屋にいた同居人は血相を変えて部屋飛び出して行ったりもしたんだよね。

土岡:歴史的な事件にも立ち会っていたんですね。留学ではどのような学びが得られましたか?

上原:やっぱりいろんなところに行って、いろんなものを見るっていうのはとても重要だなって。アメリカにいる間「日本の国会はどうなっているんだ」とか「日本の政治はどうなっているんだ」とか、いろんな日本のことを聞かれたわけ。これに全然答えられなくって。帰国して親父から「お前の留学での体験で一番良かったことはなんだ」って聞かれて、「自分自身がなんにも知らないってことがわかった」って答えた。そしたら親父に「お前そんなことは日本にいてもわかるだろう」って言われたのを鮮明に覚えてる(笑)。

僕は大正製薬入ってから、お客様回りで全国47都道府県を廻ったけど、とにかく、いろんなことを見たり聞いたりするってことが本当に重要だってことを改めて体感できたね。今の時代だったら、グローバルな視点を持つっていうのはやっぱり重要だし、そう言ったことを若いうちに勉強するっていうのは自分の力になるよね。

土岡:ありがとうございます。自分が知らないことに気づくことも大事ですね。

上原:あとは、大学ではBYBとは別に歌舞伎研究会に入ってたかな。高校までは演劇をやってて大学でも続けるか迷ってたんだけど、受験勉強で体も動かしてなかったというのもあってBYBを選んで、演劇は観る側になったね。それこそBYBの練習の帰りに歌舞伎を見に行ったりしてたね。「動」と「静」の時間を持つことを楽しんだよ。

土岡:かなりアクティブにされていたんですね。


土岡:最後に、春から大学生になる新入生にメッセージをお願いします。

上原:僕は昨年(2023年)の12月まで城西大学の理事長をやってたんだけど、その時に感じたのは、今の時代にはSDGsだとかの社会問題がたくさんあってそれに対して会社で取り組んだりするわけだけど、結局は企業でも個人でも一人一人の取り組みの集合なんだということだね。そう言った意味で、今の時代の抱える問題点とこれからの日本の発展については、一人一人の皆さんが何を学んで社会に出るかにかかってると思うね。そこで重要なのはやはり、視野を広く持つということ。人間っていうのはどうしても自分の経験の延長線上で発想したくなるけど、自分にとって未知の世界があることを知って、グローバルな、あるいは、異なる世界を知る努力をすることが大事だね。要するに、暗記して正解を当てる「学習」ではなく、知るだけではなく理解するという意味の「学修」をすること。それから「探究」すること。情報を集めて、せっかく集めた情報を整理して、取組課題を見つけ、「それをどうしたいのか」という自分の考え・仮説を持つこと。あとはやってみなきゃ分からないよね。やってみたらその結果と、仮説がどう違ったか照らし合わせて軌道修正してまたやり直す。そういうようなことを繰り返し経験を積み重ねていくことが大切。

こういう基本的なことは社会に出る前までに身につけることが大切。人生の中で知識や考える力、あるいは判断力、更には体力、感性を身につける期間っていうのは、だいたい大学受験の勉強を本格的に始める高校2年生から4年間の大学生活を通じた6年間だと思う。今は男の平均寿命は82歳、女は86歳、人生100年時代だからこそ、「本当にこれをやりたい」と思う何かを見つけるための基礎を身につける時間がこの6年間なんだと思うね。でも、卒業してから80歳になるまで60年間、6年間の10倍もある。人生これからだよ。60年間あれば世の中はどんどん変わっていくけど、それについていくには、身につけた「学修と探究」の基礎をベースにトライし続けなきゃいけないわけだね。だからこそ今の6年間っていうのはとても重要。

人生には20年一節の5つの節があると言われてるんだけど、初めの一節は基礎をしっかりと勉強する20年。次の20年で、本当に自分が何をやりたいのか見つける。40歳過ぎたらリスキリング・学び直しをして本当にやりたいことを定年ぐらいまでやる。60歳過ぎたら社会に対するお礼と貢献、次の人材をどう育てるか。80歳から先は自分の健康と相談して身近な処でできる社会貢献をすること。だから大学生活っていうのは、とにかく色々とやってみて、勉強して色々な知識を身につけることに注力できるといいね。僕が好きな言葉に「着眼大局、着手小局」っていうのがあるんだけど、「着眼大局」は時代の流れをどう見るかってことで、「着手小局」っていうのは「その時代の流れを認識して、自分はどうしたいか」ってことだね。でもそうした時代の流れにキャッチアップしていくには常にアンテナを高く立てて色んな世界を見なきゃいけないんだよね。とにかくたくさんのことにチャレンジしてみて欲しいね。

もう一つは、それをやっていいのかどうかという判断基準を持って欲しい。葛西敬之(元JR東海名誉会長。国鉄の分割民営化に貢献した人物)も「人生の座標軸を持て」とよく言ってたね。たとえば、大正製薬でも「紳士の商売人たれ」という企業理念があるんだよね。紳士というのは法律を破らず倫理にもとらず、自分に良し相手に良し社会に良しの行動をとり、嘘をつかず、弱い者いじめをしない。要するに、商売にあたって、「手段を選ばず」ではなくて、「やっていいこととやってはいけないこと」の基準を持ち続けることが大事だってことだよね。基本的なことだけど、だからこそ、この人生最初の20年の一節で身につけられるといいね。

これはラグビーでも同じで、プレー中やっていいこととやってはいけないことがあるし、そういった基準というのを身をもって実感することは貴重な経験になると思うから、ぜひBYBでそういう体験をして欲しいね。

土岡:ありがとうございました。


改めまして、ご多忙の中インタビューにご協力いただいた上原様に感謝申し上げます。

OB会ホームページには上原名誉会長に関する記事がまとめられているので是非こちらも併せてご覧ください。

(文:広報 正木佑典)


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